猫の発熱

結局理由はなんだかわからなかった。猫のシー(SEA)が40度越えの熱を出した。生まれてはじめてのことだと思う。たぶん。たぶんというのは、生後3ヶ月のとき我が家にやってきた保護猫だからだ。それ以前のことはわからない。出自も知らない。

出会った当初はとても警戒心が強く、心を許して触らせてもらえるまで半年はかかったと記憶している。ずっと誰も触れないソファの裏地の洞穴みたいなところに潜っていて姿を見せず、食事はみんなが寝静まったときに食べていた。今はすっかり慣れ、犬なのかな?というほどに鳴いて私のあとをついてくる。呼びかければ必ず3倍くらいの熱量で返事をするし(ちなみに、呼んでなくても返事をする)、隙あらば膝に乗ってきてだっこや撫でることや遊びやおやつを強要してくるし、指や顔をべろべろと舐めてくる。とにかく全てのことを中断してこっちを見ろという圧がすごい。

猫と暮らす多くの人は、猫第一、猫優先の価値観を持っているように思う。猫を崇めて人間がそれに従うような感じというのでしょうか。私にそういった感覚はあまりない。むしろシーを鬱陶しく感じてしまうことも多々あり、どちらかというとぞんざいに扱っている怒られが発生する系の飼い主だと思う。シーの圧がすごくて面倒だからかなとも思ったが(だって猫って「気まぐれさ」や「気高さ」「なびかなさ」みたいなものを持っているイメージだけど、シーは全然違うし……)思えば私は息子に対しても似たような態度であり、目に入れても痛くないほど可愛いなどと思ったことはない。私の問題ですねこれは。

ともあれ、とても暑い先日のある日、床にじっ……と香箱座りして不機嫌な置物みたいになっていた。毛並みが悪い。いつもはそばに行くと全身をすごい圧で擦り合わせてくるのに、動かない。こちらを見ない。吐く息が熱い。これは……と思って病院に連れて行った。水分の点滴、抗生剤、胃薬の注射のフルセットを3日間続けて、回復した。と思ったらまたその2日後にダウン。同様の処置を行なって、熱は下がったのだが元気がない。ご飯を食べない。じっ……が続く。

血液検査とレントゲン、どちらにも異常は見られなかった。発熱も、熱が下がってからの普段と違う様子も、何によるものなのかがわからないまま、不機嫌な置物を前に途方に暮れていたら、友人の猫博士に「病院がストレスなのでは?」と連絡をもらった。

確かに病院が本当に嫌いだし(そもそもシーはその病院から保護猫として譲り受けたのだが、なぜ?故郷ではないか)、レントゲンのときはお漏らしをしてしまい、お医者さんに「本当に臆病な子ですね」と言われていた。ここ1週間毎日のように行っていて、それが大きな心理的負担になってるのかも?

「そもそも猫って2〜3日くらいは何も食べなくても大丈夫にできてますよ。野良はみんなそういう生活してるわけですし」と言われ、食べないからと点滴を打つより、病院に連れて行かずそっとしておくのがいいのかもしれない、と思った。

病院をお休みして、結果としてシーはとても元気になった。最初は鰹節を少しだけ、ちゅーるを少しだけ、くらいしか食べず、多少弱々しかったが、今は完全復活。鳴き声もうるさいし隙あらば膝に乗るようになった。後半の食事をしない姿勢は、病院に連れていくなというストライキだったのかもしれない。

ところで、何をしても元気がないとき、そして原因がわからないとき、このままずっとこうだったらどうしようという強い不安でいっぱいになり、シーに対してもっと何かできることがあるはずなのに、どうして私はこうなのかと自分が嫌になってしまう。

きっと、あまりにもありふれたエピソードだとは思うのだけど。元気なときは、ひとりにして欲しいとか静かにして欲しいとか鬱陶しく感じるのに、元気がなくなるとこうなってしまう。こうなってしまう、ことのほうに真実がある。生きているだけで奇跡、みたいな、本当にありふれた真実。

渦中にいるとき。不安、自責、悲しみ、後悔、恐れ、そんなようなものが自分自身を支配しているとき、その感情というか感覚というか、の力はとてもとても強力だ。今回シーの心配をしているとき、私はそれらの暗雲に支配されながら、頭の片隅でそう思っていた。「これ以外考えられない」と。

しかしいざシーが元気になると、あのときの、渦中にあったネガティブな確信のようなもの(もはや正確に書き記すこともままならない)の記憶が驚くべきスピードで薄れていく。自分が愚かであるという事実だけが、そこにトドのように横たわっている。

今回は猫の不調と息子の体調不良、そして息子の学校の夏休み課題であるほうせんかの鉢をダメにしてしまったことが重なり、ほとほと自分に嫌気がさしてしまった。自責の念が肥大化したところで状況は何も変わらないから、どう前に進むかを考えなければならないのだけど、その仕切りをすべて自分でやらないといけないのがつらい。47歳にもなって何を言ってるんだという話ですが。

しかし原因がわからない不調がシーは本当に多い。シーが病弱ということではないんだけど、何かしら弱ったり不具合があるとき、これというすっきりとした理由がわかった試しはこれまで一度もない。それは致命的な疾患ではないからなのだと考えることもできるけど、シーと会話ができたらどんなにか楽なのになぁ。向こうもきっと私に対する疑問や意見が色々とあるだろうに。

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