私の弱点

自分にとって怖いこと、嫌なことは、誰からも必要とされなくなることなんだと思う。
少しその、必要とされていない片鱗が見えた気になると、もう私のことなんて全て忘れ去られてしまうんだとか、もうこの人は私のことを良く思ってくれてないんだとか考えてしまう。そうなると、それならこの世の中から居なくなった方がいいのでは?というところに行き着く。だって居ても何の価値もないじゃん、自分には、と。

そもそも価値があろうとなかろうと、存在していることは別に問題ではない(価値がない人間なんてあり得るのか?って話はちょっと置いておくとして)。けれど価値がないという事実があまりにも怖い。だから回避しようとするし、価値がないと言われた気になると、ああそうだよ、わかってるよと考えていじけてしまう。そういった思考回路が私のなかに確かにある。うまく言えないが、生/死の問題というよりも存在がある/ないの問題という気がする。「居なくなったほうがいい」と思うことはこれまでの人生無数にあったが、「死のう」と思ったことはないような気がする。

そうすると、自分の行為によって何かが成り立っているという状況は、私を生かしてくれていると考えるのが自然であり、毎日わずらわしく感じている息子の食事の準備等も、私が生きるうえではかなり重要な役割を担っているのだというところに思い至る。

明らかに更年期がはじまっている。幸い、いや幸いなどではまったくないけど私は生理にまつわるエトセトラにそれなりに苦しんできた半生があり、更年期の片鱗がふと現れてもその多くに動揺することはそんなにない、いつものアレかって感じの症状が多い。けれど上記のような「居なくなったほうがマシ」「消えたい」というやるせない気持ちは多くの場合そういったホルモンバランスの不均衡と関係して出現するので、少しマネジメントしておきたい。

自分で自分になんとか声をかけてあげることはできないか?そう思ってこれを書いている。あなたはすごいよ、頑張ってるよなんて言うつもりはさらさらないけれど、まだやってないこと、できてないこと、無念なことが沢山あるよね!と言いたい。自分の存在の小ささを嘆いて終わるんじゃなく、そこからどれだけ飛べるか?について考えてみてほしい。

息子に何かを残せているか?
会いたい友人に会えているか?感謝を伝えたか?
母の(そして父の)ためになることをしているか?
今のままの文章力で終わるのか?
なにひとつ成し遂げずに消えるのか?
やれるかどうか、やってみないとわからないのに、やらないまま終わるのか?

私はあなただけれど、あなたではない。私はあなたに満足していないけれど、それはあなたに失望しているという意味ではない。その逆だよ。だから存在しよう。

© 2023 AYANA