誰に宛てる話かわからないけれど

ここには、日々私が書き留めておこうと思ったものを、あまり気負わずに残してみようと思う。
これまでの人生、インターネット上に独り言を書き散らかして生きてきた。最初は日記サイト、そこからhtmlを使ったいわゆるホームページ、そしてブログになり、SNSになった。今のフィールドはTwitterとInstagramがメインになっているといえる。ここまでツイッターとインスタが長生きするとは、ユーザーの立場から言うのもなんだが驚きである。インスタに代わるサービスがそろそろ出るだろうなんて思い始めて何年になるかわからない。

しかしSNSで何かを書くことが、年々「発信(拡散)」にダイレクトにつながっていくことに、少し「それでいいのだろうか?」という気持ちが生まれている。インターネットの海に何かを書き記せば、世界の誰かがそこにアクセスする可能性が生まれるということで、書く当人(私)もその可能性に対して、少しだけ甘美な夢のようなものを抱いている。これは間違いない。日記サイトのときから変わっていない。だけれどもこれがわがままなもので、不特定多数の方が読んでくださっているということを意識すると、今度はこれを書くことで誰かを傷つけてしまったらどうしようとか、特にTwitterにおいてはそんなつもりじゃなかったのにという別の人の見解が加わって拡散されるようなことがあったら困るなとか、色々考えてしまい、あんまり色々書けなくなってしまう。

さらに今は、自分のSNSでのふるまいが自分自身だけに影響するものではないという事実もある。お仕事をさせていただいている相手であったり、ディレクターで入らせていただいているブランドであったりによくないイメージが及んでは迷惑がかかってしまう。「こんな人が関わってるブランドなんて、金輪際買いたくありません」。非常によく見る文言であるが、こんなことを言われては困る。

言いたいことも言えないこんな世の中……的な気持ちというわけではないんだけど、昔日記サイトに書いていたようなどうしようもない話(本当に)を書ける場所があるといいなと思った。noteなども考えたがやはりなんとなく拡散への可能性を前提として存在しているサービスをお借りして使うよりは、ここが私のフィールドですというホームページ感覚のような場所があれば、もしかしたらいいのかな?と考えての「ちいさな話」である。

ちいさな話。取り留めのない話。取るに足らない話。そんなところだ。

私はよく文章講座で「その文章を誰に宛てて書くのか意識することがとても大事」と話している。その割に、この「ちいさな話」は(及び、これまでインターネット上で書いてきたものは)、誰に宛てたものなのか、こうしてみるとはっきりしない。自分に宛てているような、いないような。親しい友人に宛てているような、いないような。それでいて、誰かに届くといいなという無責任な期待だって、なんとなくかすかに持っている。

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