サルベージ vol.2

またもインターネットの海で拾った過去の文章。

こういった過去のブログ全般、消したほうがいいのだろうか?とふと思って読み始めると、そういえばそんなこともあったねとか色々考えて結構面白くて、結局自分のために残しておこ!みたいな気持ちになってしまう。

消したほうがいいのだろうか?と思うのは、当然のことながらあの人昔こんなこと言ってたよねという(悪い意味での)噂が怖いからです。はい。いわゆるキャンセルカルチャーです。キャンセルされるほど著名じゃないだろという話は置いておいて、というか著名じゃなくてもじゅうぶんあり得ることなので。

昔の私の文章(これは比較的後期で2011)は今よりも色々なことに無責任・無自覚な私が書き手なので、いろんなことが荒いし乱暴。前提条件も荒いし、言葉遣いも、色々なアイデンティティ模索の情念を背後に感じて恥ずかしくなっちゃったり。今そんなものの言い方はしないよなというようなものもたくさんある。何かに対する嫌悪感もストレートに記している。だからないほうがきっといい。安心という意味では。

でもこうしてたまに読むと、なるほどねぇとかあったねぇとか思う、そしてそんなことあったっけ?まである。つまり自分が読んでつまらなくない(面白い文章!みたいな意味じゃなく)。ということはとっておいたほうが、やっぱりいいのかなと思う。

やむを得ず消えてしまった文章たちもある。私は記憶として色々なことを自分のなかに留めて置けない。そこに執着するよりも、自分のなかにスペースがあることが新しい変化への起動力になると信じて、インターネットの海に過去の文章を残しておくほうが楽しいんじゃないだろうか。過去にあんなことを言ってましたよねというのが何かしらの不適切なものであったとしたら、それによって起こったネガティブなこと(例えば誰かの心が傷つけられたとか)には進捗に向き合い、謝罪し、改めていくほうが私らしいような気がする。

このサルベージされた内容は今の私と考えていることがほぼ同じの内容だけど、例えがうまいこと言ってるなって。ちなみに2024年現在でも原発のことについて考える内容に、そこまで進化がない気がしてつらい。

© 2023 AYANA