『PERFECT DAYS』

ヴェンダース×役所広司という感じの映画であった。

好きな監督は?と訊かれるとヴィム・ヴェンダースですと答えてきたような気がする。彼の映画は私の考え方に影響を与えている。新しい価値観をもらったというよりは、私これでいいんだと思わせてくれるようなものがヴェンダースの映画にはある。そしてヴェンダースが好きなら、少なからずそのように感じている人が多いのではないだろうか。昔、青山真治さんもご自身が責任編集を務めたヴェンダース特集のフィルムメーカーズで「ヴェンダースが現実世界に対して持っているものの見方について『それは私もかねがねそう見ていた』と思う」と仰っていた。

ヴェンダースといえばロードムービーだけど、ロードムービーとはただだだっ広い道を走っていく映像ということではなくて、ある種の連続性のなかに見つかる様々な心の機微のようなものを集めた作品なのではないかと私は理解しており、そういう意味で『PERFECT DAYS』は生粋のロードムービーという印象で、なんならヴェンダースといえばロードムービーだよねと思い込んでる私のようなファンたちに向けてのサービスなんじゃないかまで勘繰るほどだった。まぁ、実際道路を車で走るシーンも非常に出てきます。

映画を観はじめてしばらくは「これこそが『PERFECT DAYS』じゃん」なんて呑気に思っており、普段の私は色々と多くのことを贅沢に求めすぎているな、なんて反省もしたのだけれど、中盤以降になって様子が少しずつ変わってくる。結局私は平山(役所さん演じる主人公)にある種の理想を押し付けながら観ていた、と気づいた。多くを語らず、決して怒らず、いつも静かに笑っている。宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』さながらの平山が前半は描かれるが、人が何も乗り越えずこのようになれるということは、きっとない。

この映画は私にとって、丁寧にリアリティやノスタルジーが織り込まれたファンタジーだった。映画館を出たら近くのビルに『PERFECT DAYS』の広告看板が掲げられており、そこには「こんなふうに 生きていけたなら」というコピーが入っていた。こんなふうに生きていけたなら。まさにそうで、きっと私は、こんなふうに生きていきたい、きっと生きていけると思いながら、でも、こんなふうには生きていけない。だけど、こんなふうに生きていくことを目指したり、目指すというのも変だけれどもよしとしたり、心のよすがとするのは、いいんじゃないのかなというか。そんなことを思った。

結局私は自分の価値観について、部分的にヴェンダース作品に助けられてきており、それを再確認することとなったわけだけれど、ヴェンダースに初めて触れる人だったり、今の時代を生きている若い人たちは、この映画をどう観るのだろうか、というのは気になった。私が10代の終わりに母に連れられて観た『幻の光』や『トリコロール 青の愛』のような、なんだかわからないけれど好きだなといった気持ちを持って帰ってくれたりするのだろうか。そんなことも思いつつ、人生をどう締めくくるのかとか、年齢を重ねることでしか得られない気持ちの動きの種類みたいなもの(こちら側に来てしまったという感覚だったり)を強く認識させられ、こういった演技を、もう生まれてからずっと平山として生きてますというようにしか見えない形で表現できる役所さんは本当にすごいと思った。

平山が日常的に、大事に行っている習慣の理由(のようなもの)がエンドロールのあとに明かされ、それも含めて美しかった。私も私なりの美しい人生を生きたい。

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