ライターと編集者

つくづく私は編集者ではなくライターであるなと思う。
編集とライターは一緒にされがちである。というより、編集ができるならライティングもできて当然、という空気があるし、もちろんどちらもできる素敵な人はたくさんいる。けれどもそこがシームレスという前提を当たり前のように思われてしまうと困るというか、レストランの経営と料理人の両方ができるくらい、両方できる人っていうのはすごい。

編集者とは何か?個人的には「場を用意する人」がしっくりくる。遊び場を作る人。お膳立てをする人。昔尊敬する編集者の友人が「編集っていうのは、カメラマンにはいいですね〜その写真最高!って感嘆して、スタイリストやモデルやヘアメイクになんて素敵!って感嘆して、スタッフにお茶出して褒めて褒めて褒めまくって、最後にタイトルをつける人のこと」みたいなこと言ってたけど本当にそうだと思う。

ライターは用意された場所で遊ぶ側だ。要するにプレイヤーであり、何を求められているかを考えながら技を繰り出す感じがとても精神的にラクである。要するに期待に応える仕事であると思う。期待に応えるという図式は、そもそもそこに期待があって初めて成立する状況であり、私は誰からも期待されなかった幼少期を過ごしそこに不幸を感じていたため、期待がそこにあるということに非常にありがたみを感じる。

そしてその期待は、編集者から発されるものだと私は思っている。何もないところから価値を作り上げる、風を起こすのが編集者であって、私にはそんなすごいことはできない。風を利用して水車を回すのが性に合っている。

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